学芸員ブログ
10.242023
所蔵する丸山晩霞作品を含む六曲屛風について
所蔵する丸山晩霞作品を含む六曲屏風について
松山記念館で所蔵する数少ない美術品に中村不折(ふせつ)(1866~1943)の中国の故事を描いた墨画や鳥羽宗雄(1906~1990)の洋画とともに六曲屏風があります。この屏風について館報32号で取り上げようと記事を練っています。
この紙本六曲屏風は、書2幅、動物画1幅、山水画2幅、大和絵1幅を六曲半双に仕立ていて、大きさは縦173㎝、横354㎝。この中の3幅には大正8年の年号が記され、屏風が大正8年ごろの制作であることがうかがえます。
この中の山水画2幅に松山原造の暮らす小県郡で制作活動をした丸山(まるやま)晩(ばん)霞(か)と青木石農(あおきせきのう)の作品があり、いずれも大正8年の制作年が記されています。
丸山晩霞(1867~1942)は、東御市祢津の出身。山村や山岳風景を得意とし、高山を背景にした装飾的な高山植物を多く描いて大衆に好まれました。
青木石農(1889~1968)は、小県郡塩尻村(現 上田市塩尻)の原家に生まれ10歳の時に東内村(現 上田市東内)の代々神官を務める青木家の養子に入りました。神主の仕事のかたわら山水画を描き小県郡下に作品を多く残しています。
6幅のうち漢詩1幅は、左上の画賛に記された内容から大正8年夏に穆(ぼく)英(えい)の号を称する新井石(せき)禅(ぜん)が書いたものであることがわかります。新井石禅は大正9年に曹洞宗の中心寺院である總持寺(そうじじ)の管長に就いていますが、漢詩はその前年に満州へ巡教したようすを吟じています。
他の3幅のうち大和絵は土佐派の作風で雅号は「蕃山」、また馬を描いた画については雅号が「古浅」、また短歌のかな書は「埋粛居士」「心識筆耕」の落款があるため地域に残る文献資料から人物を追ってみましたが、いずれも辿り着くことができていません。
「蕃山」、「古浅」、「埋粛居士」について情報をお持ちの方があれば、松山記念館までお知らせくださればありがたいです。
この六曲屏風は「小県郡ゆかりの書家や画家の作品を蒐め仕立てたものではないか」との思いから作者の関連性を調べていますが、解明には至りません。どのような経緯で大正8年の作品を蒐めた屏風が松山原造のもとに来たのか、背景を調べていきたいです。