学芸員ブログ

富士見町歴史民俗資料館職員の方々が研修のため来館されました

3月24日、富士見町歴史民俗資料館職員の方々が研修のため来館されました。

 

松山記念館は諏訪郡本郷村(現 富士見町立沢)の犂製造者 植松峯太郎の資料を所蔵しています。

植松峯太郎について館報25号(植松犂に関する論考)と館報30号(植松式代車に関する論考)の調査で

何度も富士見町歴史民俗資料館様にお世話になりました。<館報25号・30号はこちらでご覧になれます>

植松犂[うえまつすき] (富士見町歴史民俗資料館蔵)

このたびは植松犂と峯太郎の考案した代車に関わる資料がある松山記念館で研修されるとのことで、

収蔵する植松犂の特許図面や植松犂の普及統計資料(「大正十五年 改良農具ニ関スル調査 長野県」)などを閲覧していただきました。

明治40年 植松峯太郎の特許図面(館蔵)

「大正十五年 改良農具ニ関スル調査 長野県」(館蔵)大正末期には諏訪郡を中心に460台普及している

 

富士見町への松山犂普及は、販売帳簿を見ると明治36年4月からです。

松山原造は明治36年4月16日から10日間ほど、諏訪郡長の山中助蔵の招請により諏訪郡下へ犂耕の講習に行きました。

本郷村では4月24日と25日に松山犂の実演講習を行い、さっそく受講者から犂の注文があったので

松山犂製造所は27日に原村・富士見村・本郷村に向けて5台の犂を発送しています。

(出典:「原造日記 明治三十六年」「明治三十五年度売揚帳」)

その後、原村の清水住作が特約販売者となりこの地域には多くの松山犂が普及しました。

明治38年 諏訪郡本郷村 松山犂講習会記念写真(館蔵)

「明治三十五年度売揚帳」(館蔵)

 

犂先を左右に自在に反転できる松山犂の普及をみて、植松峯太郎は独自の反転装置をもつ双用の犂を考案し

明治40年に犂の特許を取得したことなど植松犂発明の背景についてお話しました。

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