長野県小県郡大門村(長門町)の出身。明治時代の当時は馬にスキという器具をつけて、田畑をたがやしていた。(一般の農家は人力が主で、這う農業といわれ、馬を使うのは進歩的な農家にかぎられていた。)原造は農民として生活するうちに、安くてもっと農作業をらくにするスキはないかと思うようになった。研究心の強い原造は、日本全国のスキについてしらべたすえ、もっといいスキを自分でこしらえようとした。
明治33年、第1号機のスキを完成させた。製作所をひらき、スキの生産をはじめて、全国にひろめていった。 原造の発明したスキは、つかう人の身になって考えられていたので、全国で大評判になった。松山スキは改良に改良をかさねて、展示会で受賞もした。その後、昭和29年、原造の長男(篤)によって、日本初のトラクター・スキが完成された。松山親子の努力は、日本の農業の機械化におおいにやくだったのである。
信濃教育会出版部「長野県の歴史」より